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東京地方裁判所 平成11年(合わ)468号 決定 2000年11月13日

主文

一  被告人の検察官調書(乙第五三号証)及び警察官調書(三通。乙第五〇号証ないし第五二号証)をいずれも取り調べる。

二  取調済みの被告人の警察官調書四通(乙第七号証ないし第一〇号証)をいずれも本件証拠から排除し、弁護人からの証拠調べに関するその余の異議申立てをいずれも棄却する。

三  取調済みの引当たり捜査報告書(甲第五〇号証)を本件証拠から排除する。

理由

(当事者の主張)

被告人の捜査段階における供述調書四七通(乙第七号証ないし第五三号証。以下、括弧内の甲乙の番号は検察官請求証拠番号を示す。)の証拠能力に関する弁護人の主張は、要するに、被告人の捜査段階における自白は、一部(乙1ないし4)を除き、違法な別件逮捕勾留期間中若しくはその影響の下に得られたものであるか、又は取調官からの偽計、暴行、脅迫、利益誘導、黙秘権の不告知、弁護人選任権の侵害等の違法な取調べにより強要された任意性を欠くものであるから、証拠能力を欠くというのであり、これに対する検察官の反論は、要するに、被告人に対する逮捕勾留及び取調べに違法はなく、被告人の自白はすべて任意によるものであるというのである。

(当裁判所の判断)

一  本件捜査の経過等について

関係各証拠及び本件記録によると、本件捜査の経過等として、以下の事実が明らかである。すなわち、

1  強盗致傷事件の発生とその後の捜査状況(被告人逮捕に至るまで)

(一) 平成一一年六月二五日午後四時五〇分ころ(以下「平成一一年」の表記は省略する。)、東京都文京区千駄木<番地略>所在の千駄木○○△△号室の株式会社××(以下「××」という。)本部事務所内に三人組の強盗が押し入り、同社役員(以下「甲野」という。)の首をつかんでナイフを近付けるなどして金員を強取しようとしたが、同社従業員関口悟(以下「関口」という。)が同所を訪れたため、金員を盗らずに逃走した。関口が逃げる犯人らを追いかけたところ、犯人の一人が、サバイバルナイフで関口の左胸部等を突き刺すなどし、犯人らはそのまま逃走した。その際、甲野が全治約一〇日間を要する頭頸部圧迫による多発挫創等の、関口が全治約二週間を要する左胸部、左大腿部刺創の各傷害をそれぞれ負った(以下、右各強盗致傷事件を「××事件」という。)。

(二)(1) 甲野は、直ちに一一〇番通報して、同日中に警察に被害届(甲20)を提出し、翌二六日には、甲野(甲24)及び関口(甲32)の各警察官調書が作成された。甲野及び関口は共に、犯人の一人は以前××の従業員であったG(以下「G」という。)であると特定したが、他の二人については特定に至らなかった(なお、甲野は七月三一日付け警察官調書(甲26)及び九月一四日付け検察官調書(甲28)において、関口も同月一三日付け検察官調書(甲35)において、それぞれ被告人が犯人の一人であったかどうかははっきりしないなどと供述している。)。

(2) 六月二八日、警視庁駒込警察署(以下「駒込署」という。)内に××事件の捜査本部(以下「捜査本部」という。)が設置され、警視庁刑事部国際捜査課で外国人による凶行事件等の捜査を担当していた鈴木某警部(捜査主任官。以下「鈴木警部」という。)、田中一郎警部補(以下「田中警部補」という。)、渡辺二郎巡査部長(以下「渡辺巡査部長」という。)らも派遣された。

(3) 捜査本部では、甲野及び関口の各供述に基づき、Gの逮捕状を取ったものの、その所在を把握することができず、その余の犯人二名については、特定すらできない状態が続いていた。

2  旅券不携帯事件による被告人の逮捕勾留及びその期間中の捜査状況

(一) 被告人逮捕の状況

七月八日午後一時二五分ころ、中国人と称する匿名の男から、駒込署に電話で、「××で強盗をした犯人の一人は、自分が知っている中国福建省連江出身の男である。その者は、身長一七三センチくらい、体格中肉、髪金色に染めている二七、八歳の男であり、JR池袋駅周辺でブラブラしているから捕まえてほしい。」との情報が寄せられた。

そこで、右情報に基づき、駒込署所属の警察官らが、同日午後二時ころからJR池袋駅構内において見当たり捜査を実施していたところ、同日午後三時一〇分ころ、右情報にある特徴に酷似した中国人風の男(被告人)が、山手線の電車から降車し、早足で何度も後ろを振り返るなど不振な行動をしているのを発見して、身分確認のために、池袋駅西口交番へ任意同行を求め、人定事項について職務質問を行った。被告人は、被告人のものと認められる顔写真の貼付された「A」名義の外国人登録証明書を所持していたが、「自分の名前は『A'』であり、旅券等の身分証明書は持っていないし、所持していた外国人登録証明書は友人から預かったもので、自分とは関係ない」旨申し立てた。警察官らは、身元確認のため、被告人を駒込署に任意同行し、A及びA'名での外国人登録の有無について照会した結果、いずれも該当のないことが判明し、被告人を追及したところ、被告人が、「日本で金を稼ぐため密入国してきたから旅券は所持していない」旨申し立てたため、同日午後四時ころ、被告人を出入国管理及び難民認定法違反(旅券不携帯)の現行犯人として逮捕した(以下、右現行犯逮捕の基礎となった事件を「旅券不携帯事件」という。)。

(二) その後の捜査状況(旅券不携帯事件による勾留期間延長まで)

(1) 被告人の取調べには、前記のとおり警視庁刑事部国際捜査課から捜査本部に派遣されていた田中警部補が当たることになった。

(2)ア 田中警部補は、逮捕当日に、旅券不携帯事件に関する弁解録取書(甲200・一丁。以下、同事件関係の書類は、特記する場合を除き、同書証内にその写しが綴られている。)を作成したほか、被告人の住居地の引当たりをした上、被告人の取調べを行って、「パスポートも外国人登録証明書も持っていない、日本には、他人名義のパスポートを使って密入国してきた、自分は、半月前から住居地(東京都板橋区大山金井町<番地略>所在のコーポE※※号室)で、通称Bという中国人と一緒に暮らしている」旨録取された警察官調書一通(本文五丁)を作成した。

また、捜査本部では、同日中に、右住居地の捜索差押許可状の発付を得て、翌九日(捜索差押調書の捜索差押の日時に関する記載は誤記と認める。)に捜索を実施して、被告人が写っている写真二葉を発見、押収した。

イ 田中警部補は、同月九日、被告人の身上経歴、日本への入国の経緯・状況、入国後の生活等について被告人の取調べを行い、警察官調書二通(九丁及び本文六丁)を作成した。右各調書には、「本年一月中旬ころ、蛇頭に作ってもらった『C』名義の香港旅券を使用して、香港の空港から飛行機に乗って大阪にある空港に到着したが、右旅券は同行してきた蛇頭の男に入国後取り上げられた」、「逮捕されたときに所持していたA名義の外国人登録証明書は、仕事をするのに、必要であったため、Dという中国人に頼んで作ってもらった偽物の外国人登録証明書であり、貼られている顔写真も自分のものではない」などと録取されている。

また、捜査本部では、同日、被告人が逮捕時に所持していた携帯電話二台のうち一台のレンタルサービス申込書を入手し、「C」名義で契約されたものであることが判明した。

(3)ア 同月一〇日、被告人は、東京地方検察庁に送致されて、検察官の取調べを受け、「旅券不携帯の事実はそのとおり間違いない。逮捕された時持っていた外国人登録証は、友達から借りたもので、自分のものではない。」などと記載された検察官調書(一丁)に署名指印し、同日、東京地方裁判所に勾留請求された。

イ なお、右検察官送致の際、駒込署の捜査主任官である四方田某課長から、担当検察官である東京地方検察庁所属の伊藤三郎検事(以下「伊藤検事」という。)にあてて、「今後の捜査等に関する連絡」と題する書面が捜査記録とともに送られているが、右書面には、「旅券不携帯については事実を認めているが、本邦入国の方法等再調べの必要がある。」などと記載されているほか、「余罪関係・その他参考事項」として、「当署管内において六月二五日発生した中国人三名による強盗致傷事件の容疑者と認められる者である、七月一三日に心理鑑定を予定している、その関係で事件に関する取調べ等は一切行っていない、他の共犯者二名については所在不明で逃走中であるが、うち一名は、逮捕状の発付を得ている、被告人の身分特定のため勾留をお願いする」旨記載されている。

ウ 翌一一日、東京地方裁判所裁判官が被告人に対する勾留状を発付したが、同日及び翌一二日に、被告人の取調べは行われていない。ただし、同月一一日には、平成一〇年一二月ころから平成一一年四月ころまでの間被告人と付き合いがあり、被告人に仕事を紹介したりアパート(前記住居地)を紹介したりしていた者の供述調書が作成され、翌一二日には、被告人の所持していた外国人登録証明書が偽造されたものであると判明した旨の報告書が作成されている。

(4) 同月一三日、警視庁科学捜査研究所所属の心理研究員により、××事件の詳細に関する被告人の認識の有無について判断するための心理鑑定(いわゆるポリグラフ検査)が実施され、その可能性があるとの結果(甲205)が得られて、同日中に捜査本部に口頭でその旨報告された。

(5)ア 田中警部補は、同月一三日から勾留満期である同月一九日までの間、連日被告人の取調べを行い、その取調べ時間は、一日六時間三〇分ないし九時間四四分と相当長時間(ただし、同月一六日は検察官の取調べがあったため五五分間)に及んでいる(以下、取調べ時間は、取調べのための出房から入房までの時間をいう。)が、供述調書としては、同月一五日付け(八丁)及び同月一八日付け(四丁)が作成されているのみである。

イ このうち同月一五日付け調書には、「前回、今年の一月下旬ころ日本へ来たと話したが、これは勘違いで、実際は、昨年の一一月下旬か一二月初旬に来日した。使用した旅券は、蛇頭に用意してもらった中国語読みで『C'』名義のものである。漢字は記憶していないが、『C』あるいは『C''』と書くはずである。来日後しばらくは、友人のアパートで世話になり、その後、同年一二月初旬ころ、ペンキ屋のアルバイトを始め、その社長の用意してくれたアパート(前記コーポE※※号室)で暮らすようになったが、二、三か月で辞め、その後は、逮捕されるまで、池袋や蒲田に住んでいる友人の所で寝泊まりしていた。友人のアパートの番地等は覚えていないし、友達の名前も言うことはできない。今年の六月ころ、偽造の外国人登録証明書を使い、腕時計を池袋の質屋に二回ほど質入れしたことがある。」などと録取され、同月一八日付け供述調書には、逮捕された際に所持していた携帯電話二台のうち一台は被告人自身が「C」名義でレンタルを受けた物であることなどが録取されている。

ウ また、同月一六日には、伊藤検事が旅券不携帯事件及び不法入国の嫌疑(以下「不法入国事件」という。)について被告人を取り調べたが、供述調書は作成されなかった。

(6)ア この間、東京都大田区長作成の同月九日付け回答書(同月一三日捜査本部入手。以下、この項中の括弧内の月日は捜査本部の入手日を示す。)により、A'及びA名での外国人登録のないことが、法務省入国管理局作成の同月一二日付け回答書(同月一三日)により、A'及びA名での出入国記録(EDカード)のないことが、同局作成の同月一三日付け(同日)及び日本航空株式会社東京支店作成の同月一四日送付(同日)の各回答書により、「C」名での出入国記録はないが、「C''」と称する者が平成一〇年一一月二五日JAL七〇二便で関西国際空港から入国し同年一二月一日JAL七三五便で東京国際空港から出国した旨の出入国記録等のあることが、東日本入国管理センター作成の七月一五日付け及び法務省入国管理局作成の同月一六日付け各回答書(いずれも同月一八日)により、A'及びA名での退去強制歴並びに被告人の退去強制歴のいずれもないことがそれぞれ明らかとなった。

イ また、捜査本部は、同月一七日、被告人の母親から、被告人の戸口簿の写しの送付を受けている(乙6)。

(7)ア そして、同月一六日、駒込署所属の照井辰己警部補は、退去強制歴の有無について東日本入国管理センターに指紋照会中であり、C名義の査証申請書類の取寄せについても外務省領事移住部に照合中であるが、いずれも回答未了であること、被告人の親族に送付を依頼した戸口簿等が到着未了であることなどを指摘し、旅券不携帯事件の裏付け捜査が未了であることを理由として、勾留期間の延長を要請する旨の捜査報告書を作成している。

イ これを受けて、伊藤検事は、同月一九日、旅券不携帯事件だけでなく不法入国事件についても併せて捜査を行う必要があること、戸口簿の送付が未了であり、被告人の人定が特定できていないこと、C名義の旅券及び外国人登録証が未発見であること、被告人が四月ころ以降の居住先及び収入源に関する具体的供述を拒んでおり、その所持する偽造外国人登録証の入手先や時期、使用状況等についての供述を得て、その生活実態を解明する必要があること、退去強制歴の有無の照会に対する回答やC名義での査証申請書類の取寄せが未了であることなどを理由として、東京地方裁判所裁判官に対して勾留期間の延長を請求し、七月一九日に、翌二〇日から一〇日間の勾留期間の延長が認められた。

(三) 旅券不携帯事件による勾留期間延長後の捜査状況

(1)ア 勾留期間の延長後も、被告人に対する取調べは続き、同月二〇日に六時間五〇分、二一日に九時間三五分、二二日に八時間三五分、二三日に七時間一五分、二四日に六時間一〇分、二六日に六時間二三分、二七日に六時間一五分とほぼ連日、相当長時間に及ぶ取調べが続けられた(ただし、同月二五日は、日曜日で取調べが行われず、同月二八日は、午前中に××事件に関する引当たり捜査が行われたため、取調べは午後のみの二時間五二分にとどまっている。)。

イ この間、旅券不携帯事件及び不法入国事件の関係で作成された供述調書は、中国の母親から送られた戸口簿の写しが自分のものであることを確認する内容の同月二四日付け警察官調書(本文三丁)一通のみであるし、検察官による被告人の取調べは一度も行われていない。

ウ また、同月二二日、駒込署で被告人の同房者である中国人が被告人から強盗をやったことを打ち明けられたと供述している旨の情報入手報告書が作成され、翌二三日には、外務省領事移住部作成の同月二一日付け回答書により、C名義による査証発給の事実のないことが判明している。

(2)ア なお、同月二三日には、伊藤検事と捜査本部の鈴木警部らとの間でその後の捜査方針に関する打合せが行われ、その際、鈴木警部らからは、被告人の供述に変化がなく、最近の交友関係や居住関係について十分な供述が得られず、取調べが難しい状況にあること、××事件について、前記のような心理鑑定の結果及び被告人が強盗への関与をほのめかせた旨の同房者の供述は得られたが、被告人は頑なに否認する供述を続けていること、被告人の余罪としては、被告人が六月三日に質店で腕時計を質入れする際に、偽造された「A」名義の外国人登録証を身分証明書として提示行使したという偽造有印公文書行使の嫌疑(以下「偽造公文書行使事件」という。)があることについて報告があった。

イ そこで、伊藤検事は、鈴木警部らに対し、被告人の交友関係を洗うなどして、C名義の偽造旅券の発見に努めること、被告人の不法入国事件を裏付けるべき証拠が集まらない場合は、当時の証拠収集状況に照らし、××事件で逮捕することは無理であるとして、偽造公文書行使事件で再逮捕することとし、一〇日間の勾留期間中に捜査を遂げることなどを指示した。

(3)ア 同月二四日の夕方、被告人が××事件への関与を自白するに至り、「私がやった悪い事」と題する書面(乙54)を作成して、犯行の日時・場所、共犯者の氏名・人数、犯行の態様等について自書したほか、共犯者二名を特定し、その使用する携帯電話の番号について録取された、被疑罪名を強盗致傷とする同日付け警察官調書(乙7・本文四丁)が作成されている。

イ 同月二五日は、日曜日で取調べは行われず、同月二六日から、取調べが再開されたが、被告人は、同月二四日ころから、日本に入国したのは、飛行機ではなく船による旨供述するようになった。

ウ 伊藤検事は、同月二六日以降、被告人が××事件について自供したことのほか、被告人が船で入国したとの供述を変えず、その内容もあいまいなものであるとの報告を受けて、翌二七日ころ、旅券不携帯事件の処分は保留し、偽造公文書行使事件で再逮捕する方針を固め、捜査本部に対し、その旨伝えるとともに、偽造公文書行使事件による勾留期間中は、同事件に関する一通りの捜査が終わるまで××事件については積極的に触らないよう指示した。

エ 同月二七日、被告人が「自分のやった悪い事で思い出した事」と題する書面(乙55。以下、乙54、55について「上申書」という。)を作成し、その中で、××事件を敢行する前にF(後にF'と判明)の指示でマニキュアを買いに行ったが、マニキュアではないビンを買ってしまい、Fに怒られたこと、××の事務所のあるビルの外階段からそのビンを捨てたことなどについて自書しているほか、××事件の共犯者と知り合った経緯、犯行の謀議及び準備の状況、犯行前後の行動、犯行態様等について詳細な供述が録取された、被疑罪名を強盗致傷とする警察官調書(乙8・一二丁)が作成されている。

オ さらに、同月二八日午前には、被告人の供述したマニキュア様のびんの購入先や投棄場所について被告人の引当たり捜査が行われ、翌二九日付けで引当たり捜査報告書(甲50)が作成されている。

カ なお、田中警部補は、××事件について取り調べる際に、同事件について取り調べることや、改めて供述拒否権や弁護人選任権について告知することはしていない。

(4) そして、同月二九日、被告人は、旅券不携帯事件について処分保留のまま釈放されると同時に、偽造公文書行使事件で再逮捕された。

3  その後の捜査状況等

(一) 偽造公文書行使事件による逮捕勾留期間中の捜査状況等

(1) 偽造公文書行使事件による逮捕後、八月五日までは、専ら同事件についての取調べが行われたが、被告人は、同事件については、逮捕当日から一貫して事実を認め、八月五日までに、警察官調書三通(七月二九日付け・乙1・八丁、同月三〇日付け・乙2・九丁、八月二日付け・乙3・本文六丁)及び検察官調書一通(同月五日付け・乙4・本文六丁)がそれぞれ作成されている。

(2) この間、××事件に関する取調べが行われていたことはうかがわれないが、伊藤検事による取調べ後である同月六日に、一時間四五分にわたり同事件等に関する取調べが行われ、被告人が同事件の共犯者の一人であると供述していたFことF'(以下「F''という。)の人定についての警察官調書一通(乙9・本文四丁)が作成された。

(3) 被告人は、偽造公文書行使事件の勾留満期である八月九日に、同事件につき偽造公文書行使罪で起訴された。

(二) 偽造公文書行使事件の起訴から××事件による逮捕までの捜査状況

(1) その後、八月一〇日、F''が旅券不携帯の罪で現行犯逮捕され、同月一二日、××事件の犯行現場に残されていた指紋の一つがF''の指紋と一致することが確認され(甲46。ただし、捜査本部入手は翌一三日)、さらに、同月一九日には、甲野からF''が犯人の一人であることは間違いないと思う旨(甲27)の、関口からもF''は犯人の一人に似ている旨(甲34)の各供述が得られ、F''自身も、同月二五日には、被告人及びGと共に××事件を敢行した旨自供するに至り、同日付けで警察官調書二通(甲53、54)が作成された。

(2) 一方、被告人に対する××事件の取調べは、偽造公文書行使事件による起訴後も断続的に続けられ、同月一二日には、四時間三〇分の取調べがあり、その際、事件当日に××事件の現場に最寄りの地下鉄千駄木駅の改札口でビデオテープに録画された人物から被告人、F''及びGを特定するなどした警察官調書(乙10・本文五丁)が作成されたほか、同月一九日に一時間三四分、二〇日に二時間一一分、二三日に二時間四八分、二四日に三時間一二分、二六日にも四時間二八分程度の取調べが行われた。

(三) ××事件による逮捕から起訴までの捜査状況等

(1) 被告人は、同月三〇日、F''と共に、××事件で逮捕され、その後、九月一日に勾留、同月一一日に一〇日間の勾留期間延長が認められた後、同月二〇日、同事件で起訴されている。

(2) その間、同事件に関しては、被告人の八月三一日付け(乙11・九丁)、九月二日付け(乙12・四丁)、同月三日付け(乙13・本文一三丁)、同月四日付け(乙14・一〇丁)、同月五日付け(乙15・本文七丁)、同月六日付け(乙16・六丁)、同月一〇日付け(二通。乙17・九丁、乙18・本文四丁)、同月一二日付け(乙19・本文一〇丁)、同月一五日付け(乙20・三丁)の各警察官調書及び同月一四日付け(二通。乙21・本文四丁、乙22・本文一五丁)、同月一六日付け(乙23・三一丁)の各検察官調書並びに被告人の立会いにより同月一四日付けで引当たり捜査報告書(甲51。同月七日引き当たり)及び実況見分調書(甲66。同月一二日実況見分)がそれぞれ作成されている。

(四) ××事件による起訴後の捜査状況等

(1) 被告人は、××事件による起訴後、被告人、F''らが七月三日に長野市内で敢行したとされる住居侵入、強盗致傷事件(以下「長野強盗事件」という。)及び六月一三日に同市内で敢行したとされる住居侵入、窃盗事件(以下「長野窃盗事件」という。)について取調べを受け、長野強盗事件については一一月一〇日に、長野窃盗事件については平成一二年一月一一日にそれぞれ起訴された。

(2) そして、長野強盗事件については、警察官調書二二通(乙24ないし45。いずれも謄本)及び検察官調書四通(乙46ないし49)が取調済みであり、長野窃盗事件については、検察官から警察官調書三通(乙50ないし52)及び検察官調書一通(乙53)の証拠調べが請求されている。

二  被告人の自白の任意性について

1  偽計、脅迫、利益誘導等の有無について

(一) 被告人は、公判段階において、××事件、長野強盗事件及び長野窃盗事件について自白したのは、旅券不携帯事件による逮捕の翌日に、警察官から、「××事件の現場にあなたの指紋が残っている。」、「Gは逮捕されて、全部認めている。このまま否認していると、ナイフを使って傷害を負わせたのもあなたの責任になってしまうから、早く話した方がよい。」などと言われ、その後も、「正直に話せばそんなに重い刑にはならないが、話さなければ次々と逮捕する。」などと言われたほか、八月一〇日ころには、同房の上海の人から警察官の話として、「全部話せば、八〇パーセントくらいは帰国できる。実刑になるとしても、せいぜい三年か四年の刑だ。」などと言われたため、その翌日に同人に頼んで取調べを再開してほしい旨の手紙を書き、同月一三日ころ、××事件ばかりでなく、長野強盗事件や長野窃盗事件についても全部話したように供述しており、弁護人は、被告人の右供述を前提として、被告人の右各事件に関する自白はいずれも偽計、脅迫あるいは利益誘導によって得られたものであるから任意性がない旨主張する。

(二)(1) しかしながら、関係各証拠によっても、本件捜査段階において、××事件の犯行現場から被告人の指紋が検出されたことをうかがわせる証拠は全く存在せず、同事件の共犯者とされるGについては所在すら判明していなかったことが認められるところ、このような状況の下で、取調べに当たった警察官が、旅券不携帯事件で逮捕されたばかりの被告人に対し、被告人の指紋があったとかGがすべて認めているというような明白に虚偽の事実を告げてまで自白を迫らなければならない理由も必要性も認められない。しかも、被告人が駒込署で同房の同国人に××事件について話した時期や経緯に関する公判供述は、右同国人が七月二二日までに被告人から強盗をやったことを打ち明けられた旨の前認定のような同日付け情報入手報告書の内容と大きく食い違うものである。

(2) これに対し、田中警部補は、逮捕から五日後の七月一三日に心理鑑定を行う予定であったので、それ以前には××事件に関する取調べはしていない、××事件の現場に被告人の指紋があったとかGが逮捕されて自白したというような嘘の話をしたことはない、認めればすぐに中国に帰れるとか、三年か四年の刑ですむといったようなことも話していないし、被告人と同房だった上海人に被告人を説得するよう依頼したこともない旨証言しているところ、田中警部補の右証言内容は、××事件に関する取調べ状況に関する前記一の2(二)認定の本件捜査の経過等によく符合するものであり、特に不自然な点は見当たらない。

(3) したがって、前記(一)掲記の被告人の公判供述は、田中警部補の証言と対比して、これをそのまま信用することは困難である。

(三) もっとも、田中警部補は、被告人に対し、罪を認めて被害者に対する謝罪の気持ちを持てば、裁判で情状が良くなるだろう、やったことをやっていないと言い張るのであれば、情状面で刑が軽くなることはあり得ないという趣旨で説得したことを認めているところ、このような説得が違法・不当な利益誘導に当たらないことは明らかである。

2  暴行の有無について

(一) 次に、被告人は、公判段階において、取調べの際、警察官から殴られたり、蹴られたりした、警察官が戸口簿の表紙を丸めて投げたり、その封筒に火を着けたりもした、また、長時間立たされ、疲れて足が少しでも動くと、顔を押したり横に揺すったり、足を蹴ったりされた、身体を揺すられ押されたりして倒されたこともあった、××事件について自供したのは、連日立たされて耐えきれなくなったためであるなどと供述しており、弁護人は、被告人の右供述を前提に、被告人の自白は警察官による一連の暴力によって得られたものであるから任意性がないとも主張する。

(二)(1) 被告人の前記公判供述のうち、警察官が戸口簿の表紙を丸めて投げたり、その封筒に火を着けた旨の部分については、これを裏付けるような証拠が存在する。すなわち、被告人の中国在住の母親から駒込署に送られてきた戸口簿の写し及びこれを入れて送られてきた封筒は、七月二四日に被告人に示して説明させるいわゆる示し取りが行われた後に、被告人に還付され、裁判所に証拠として提出されている(弁護人請求証拠番号第一号証)。ところが、右戸口簿の写しは、その一枚目(表紙)に多数の不定形のしわがあるなどその現在の形状に照らすと、手で押しつぶすように丸められた後、アイロンをかけるように押し延ばされた後に、ホッチキスで二枚目以降と新たに綴じられたものであることがうかがわれる。さらに、右表紙の裏側には、紙を火であぶったときにできるような茶色の染みも認められ、また、右封筒は、その一つの角がはさみ様の刃物によりほぼ三角形に切り取られている上、その切り口付近にも同様の茶色の染みが認められるのである。

(2)ア この点、田中警部補及び渡辺巡査部長はいずれも、右戸口簿の写しや封筒について、被告人に示し取りをした際に特に異常はなく、自分は封筒に火を着けていないし、戸口簿の写しの表紙を丸めて投げつけたこともない、他の警察官がそのような行為をする場面も見ていない、戸口簿の写しや封筒が前記のように変形ないし変色した理由ないし原因は分からない旨証言する。

イ しかし、被告人は、旅券不携帯事件による逮捕以来、身柄拘束が続いていて、火を用いたりホッチキスやはさみ様の刃物を使うことは不可能と考えられ、関係各証拠によっても、弁護人が右戸口簿の写し等を入手する前に、被告人のほか、捜査本部の関係者や留置担当者以外に、右戸口簿の写し等に触れた者がいたことをうかがわせる状況は存在しないから、右の変形や変色は、被告人以外の者、すなわち、捜査本部の警察官の手によるものと考えざるを得ない。しかも、渡辺巡査部長は、その証言に先立ち、当時の捜査本部関係者に問い合わせた結果としても、右変形や変色の原因が解明できなかったと証言しているのであり、右変形や変色は公にすることをはばかられるような原因に基づくものであることがうかがわれるのである。そうすると、警察官が戸口簿の表紙を丸めて投げたりその封筒に火を着けた旨の被告人の公判供述は、右戸口簿の写し等の現状によって客観的に裏付けられており、信用することができ、これに抵触する田中警部補及び渡辺巡査部長の各証言はこれらをそのまま信用することが困難である。

(三)(1) 他方、被告人は、××事件の自白をした理由について、連日朝九時から夜一一時まで取調べがあり、十数日間も、通訳人がいなくなる夜七時か八時ころから長時間立たされ続け、耐えられなくなって話し始めた旨供述する。しかし、田中警部補の証言により駒込署の出入簿に基づき作成されたことが認められる取調べ状況報告書(甲199によると、被告人が同事件に関する上申書(乙54)を初めて作成した七月二四日の取調べは午後一時二〇分から午後七時三〇分までの六時間一〇分にとどまり、その間に、右上申書のほか、同事件に関する警察官調書(乙7・本文四丁)及び旅券不携帯事件に関する警察官調書(三丁)も作成されている。そして、このような取調べの時間帯や上申書及び供述調書の作成状況に照らせば、被告人は夕方の比較的早い時点で自供を開始したことがうかがわれ、被告人の供述する取調べ状況とは相いれないものである。そしてこの点に関し、田中警部補は、被告人が痔疾のために同じ姿勢で座り続けることが辛そうな態度を示したことから、取調べ中に立つことを認めたことがある旨証言している。

(2) また、被告人は、××事件の取調べ中に、突然、警察官が机の下から自分の椅子を蹴って壁に押し付けたり、立たされて疲れてふらふらしていると、警察官が揺らしてきて倒され、後頭部を壁や床にぶつけたことがあるとも供述する。しかし、七月一六日付け捜査報告書(甲206)には、同事件の取調べが開始される前の同月一五日夜、田中警部補が被告人の述べる稼働状況と裏付け捜査の結果との矛盾を指摘して被告人を追及していると、午後八時五分ころ、被告人が「もう、頭が痛い。考えられない。」などと言って興奮し始め、座りながら上体を勢い良く後方に反らせて後頭部を二、三回後部壁面に自らぶつけた旨の記載があり、被告人の右公判供述は、事実を語っていないものというほかない。

(3) さらに、被告人の公判供述のうち、警察官から殴られたり、蹴られたりした旨の供述は、いずれも断片的で具体性に乏しく、被告人の自白との脈絡も明らかにされないものである。

(4) しかも、被告人は、その公判供述において、長野強盗事件に関する検事調べの際、検察官から、警察で暴力を振るわれなかったかと聴かれて、暴力はなかったと述べたことや、接見に訪れた弁護人にも、当初は、暴力を振るわれた事実を話さなかったことを認めているほか、検察官や弁護人に対し、暴力を振るわれたことを話さなかったのは、駒込署の担当警察官のことをとても信用していたためであるなどとも供述しているのであり、このような被告人の検察官や弁護人に対する供述状況や駒込署所属の警察官に対して示した信頼感は、駒込署において警察官から暴行を受けて意に反する自白をさせられた者の言動としては誠に不可解なものである。

(5) 加えて、被告人は、伊藤検事から、警察に暴力を振るわれたことがあったかと聴かれ、手振りを交えながら具体的に話した旨供述し、伊藤検事も、七月一六日の検事調べの際に、被告人に対し、警察の調べについて聴いたところ、警察官から壁に頭をぶつけられたとする訴えがあった旨証言するが、伊藤検事は、それと同時に、右取調べの終了後に鈴木警部に電話で確認すると、鈴木警部から、前日の取調べで被告人が答えに窮して自ら壁に頭をぶつけた旨即答があり、八月五日の検事調べの際に再度確認すると、被告人は、自分が頭をぶつけたのを刑事が止めてくれたと述べるに至った旨証言しているのである。

(6) したがって、警察官の暴力に関する被告人の公判供述は、前記(二)で検討した点を除き、これらをそのまま信用することは困難である。

(四) そこで、前記(二)でみた被告人の公判供述に従い、被告人の自白の任意性について検討する。

(1) まず、被告人の公判供述を中心とする関係各証拠によると、田中警部補が、被告人の母親から送られてきた戸口簿の写し及び封筒を取調室に持ってきて、被告人に対し、「これを送るのに一三〇元の送料がかかっていて、事実を認めないのは、二〇〇元ぐらいしか稼いでいないのに送ってくれたお母さんに対して親不孝だ。」と言い、被告人が黙っていると、係長と呼ばれていた警察官が、「あなたの事件にかかわった警察官はこんなにたくさんいる。みんなこのことで仕事をしている。それでもあなたは認めないのか。認めなければ戸口簿はもう意味がない。いらないから、火を着けるぞ。」などと言って、封筒に下からライターで火を着けた後、封筒をあおぐように振って消し、戸口簿の写しの一枚目を手で押しつぶすように丸めて被告人の方に投げつけた後、被告人に命じて拾わせたというような事実のあったことがうかがわれる。

(2) しかし、被告人の供述によると、その時期は戸口簿が到着した七月一七日の一、二日後、すなわち、同月一八、九日ころであったとされているが、同月二四日付け警察官調書(甲200)によれば、同日、被告人に対し、送付されてきた戸口簿の写しが示され、その写しが調書に添付されたとうかがわれるから、右供述のうちの時期に関する部分は信用することが困難であり、警察官が右(1)のような言動に及んだのは被告人が××事件について自白を開始した後のことであったと考えられるのである。

(3) もとより、前記(1)認定のような警察官の言動は、取調べの方法として常軌を逸した不穏当なものであり、被告人に対して少なからぬ衝撃を与えたことも容易に推察されるところである。しかしながら、右言動は、被告人に対する怒りや苛立ちを現すものとはいえ、比較的短時間で終わり、被告人に直接危害を与えたりそれをほのめかすようなものではなく、右(2)でみたとおり、その時期は被告人が××事件について自白を始めた後のことである。しかも、被告人自身、右のような取調べ方法が自白の直接の原因になったとは述べておらず、自白に至る経過の中の一つの出来事として述べているにすぎない。そうすると、右のような取調べ方法が被告人の自白に及ぼした影響はそれほど大きくなかったとみられるのであり、その自白の任意性に疑いを感じさせるものとはいえないのである。

3  その余の主張について

(一) 弁護人は、警察官が被告人に対して①黙秘権を告知することなく、②弁護人選任を妨害して、③連日長時間にわたり取り調べており、被告人の自白な任意性がない旨主張し、被告人も、公判段階において、弁護人の右主張に沿うような供述をする。

(二) そこで検討するに、①の点に関し、被告人は、警察では黙秘権の告知が全くなかったと述べたり、××事件について自白した後の八月一五日前後ころに警察官から告知を受け、初めて黙秘権について知った旨供述するが、田中警部補は、被告人に対し、取調べに際して黙秘権を告知した旨証言しているほか、被告人は、旅券不携帯事件により逮捕勾留された際、警察官ばかりでなく、検察官の弁解録取、裁判官の勾留質問を受けて、その都度、黙秘権を告知されていたはずであり、被告人の同事件に関する供述調書すべてに黙秘権を告知した旨の記載のあることも考慮すると、被告人の右公判供述は到底信用することができない。

(三) 次に、②の点に関し、被告人は、旅券不携帯事件で逮捕された際に既に弁護人選任権の告知を受けていたことを認めている。そして、被告人が不満とするのは、その公判供述によると、要するに、偽造公文書行使事件で逮捕された後に当番弁護士と接見した際、当番弁護士が同行した通訳人の言葉が通じなかったことに加え、被告人が友人に弁護人の選任を依頼しようとしたが、その友人は日本語が話せず、不法滞在者であったため、その友人と面会できなかったとする点に尽きるところ、右のような被告人の公判供述を前提としても、警察官が被告人の弁護人選任権を妨害したものでないことは明らかである。

(四) さらに、前記一の2(二)の(5)及び同(三)の(1)で認定したとおり、旅券不携帯事件による勾留期間中に、被告人に対してほぼ連日のように長時間に及ぶ取調べが行われているが、前掲取調べ状況報告書によれば、八時間を超す取調べは七月一三日、一五日、一七日、一九日、二一日及び二二日の六回で、最長が同月一九日の九時間四四分、午後八時を超す取調べは同月一三日ないし一七日、一九日、二一日ないし二三日及び二七日の一〇回で、最も遅い日が同月一五日及び一七日の午後一〇時五〇分までであったことが認められるのであり、後に検討する別件逮捕勾留の点を除けば、被疑事実の重大性等に照らし、その取調べ時間や時間帯がそれ自体被告人の供述の任意性に及ぼすものとはいえない。

(五) なお、被告人は、被告人作成名義の上申書は警察官の書いた文章を書き写しただけであり、被告人の供述調書は読み聞けをされたことがなかったなどと、上申書や供述調書の内容が自分の供述に基づかないものであるかのようにも弁解する。しかし、被告人の作成した二通の上申書(乙54、55)には、G以外の共犯者の氏名(F)や、指紋を残さないために用いるマニキュアのつもりで買ったビンがマニキュアでないと判ったため犯行現場近くで投棄した事実など、それまで警察に判明していたとはうかがわれない事項が記載されている。しかも、××事件等に関する被告人の供述調書には、被告人の申立てによる訂正が録取されているものも存在している(乙8、9等)。さらに、警察官から読み聞けを受けたかどうかに関する被告人の供述は、あいまいなだけでなく、読み聞かせを認めるような部分もあって、場当たり的に変遷しており、右弁解を信用することはできない。

4  結論

以上のとおり、被告人の自白の任意性に疑いを生じさせるような取調べの状況はなかったと認められるから、この点に関する弁護人の主張は結果としてすべて理由がないことに帰する。

三  別件逮捕勾留の適否について

1  弁護人の主張は、要するに、被告人に対する旅券不携帯事件及び偽造公文書行使事件による逮捕勾留はいずれも、専ら××事件の取調べを目的として行われた違法なものであるから、同事件に関する被告人の自白調書一七通(乙7ないし23)はいずれも、違法な別件逮捕勾留期間中又はその影響の下に得られたものであるというのである。

そこで以下、被告人の右自白調書が得られた取調べの適否について判断するについて、旅券不携帯事件及び偽造公文書行使事件による逮捕勾留の理由及び必要性の問題とその逮捕勾留期間中における被告人の取調べ状況等を中心とする捜査のあり方の問題とを分けて検討することとする。

2  逮捕勾留の理由及び必要性等の検討

(一) 旅券不携帯事件による逮捕勾留について

(1) 逮捕勾留の理由及び必要性

旅券不携帯事件の逮捕勾留の基礎となった被疑事実は、被告人が七月八日に駒込署において旅券を携帯していなかったというものであるところ、右事実は、法定刑が一〇万円以下の罰金とされる出入国管理及び難民認定法違反の罪(同法七六条、二三条一項)に該当するもので、それ自体軽微とまではいえない。しかも、前認定のとおり、被告人は、逮捕当時「A」名義の外国人登録証明書を所持していたが、右証明書は他人から預かったもので、自分のものではない旨述べていて、その人定が明らかではなかったこと、被告人自身、当初から、旅券を所持していないのは本邦に不法入国したためである旨供述していたところ、被告人が有効な旅券又は乗員手帳を所持しないで本邦に入国したという前掲不法入国事件(同法違反)は旅券不携帯事件と密接な関連性が認められるから、旅券不携帯事件の逮捕勾留期間中に不法入国事件について取り調べることも許容されることからすると、被告人を旅券不携帯事件により逮捕勾留する理由及び必要性のあったことは明らかである。

(2) 勾留期間を延長すべきやむを得ない事由

ア 旅券不携帯事件の勾留期間の延長請求は、前認定のとおり、主として被告人の人定の裏付け捜査及び不法入国事件の捜査の必要性にあったところ、右勾留期間延長の裁判時はもとより勾留延長期間の満了時においても、不法入国事件の裏付け捜査が未了であったといえるから、勾留期間を延長すべきやむを得ない事由が引き続き存在したことは否定できない。

イ(ア) しかしながら、捜査本部は、右勾留期間延長前の七月一九日までに、被告人の戸口簿を入手するなどして、被告人の人定を中心とする旅券不携帯事件の裏付け捜査をほぼ遂げていたこと、一方、不法入国事件について、被告人は、「C」又は「C"」名義の偽造旅券で飛行機で本邦に入国した旨供述していたところ、捜査本部は、同日までに、被告人が所持していたA名義の外国人登録証が偽造されたものでありA'、A及びCによる出入国記録及び退去強制歴並びに被告人自身の退去強制歴はないが、C"名による出入国記録及び飛行機の搭乗記録はあるとの捜査資料を入手していたこと、さらに、右勾留期間延長後の同月二三日には、C名による査証発給の事実がない旨の捜査資料を入手し、翌二四日ころから、被告人が、本邦に入国したのは飛行機ではなく船による旨供述するようになり、その後もその供述を変えなかったこと、そのため、主任検事の伊藤検事は、同月二三日には、不法入国事件で捜査が進展しない場合に備えて捜査本部に対して、偽造公文書行使事件で再逮捕する方針を指示し、同月二七日ころには、旅券不携帯事件の処分は保留し、偽造公文書行使事件で再逮捕する方針を固めたことはいずれも前に認定したとおりである。

(イ) ところで、被告人を不法入国事件で起訴するためには、被告人の自白の補強証拠として、不法入国の事実を裏付けるべき客観証拠の入手が不可欠であるところ、飛行機で入国した場合は、偽造旅券上の査証の記載や偽名による出入国記録が客観証拠となるのに対し、船で入国した場合は、右のような客観証拠を入手することが困難であることは、伊藤検事もその証言で認めるとおりである。

(ウ) そして、前記アでみたような捜査の進展状況に照らすと、被告人の不法入国を裏付けるべき証拠としては、被告人の自白以外には、被告人が有効な旅券を所持していないとの事実のみであり、しかも、同月一九日までに捜査本部が入手した捜査資料によれば、C名による出入国記録はなく、また、C"名による出入国記録及び飛行機の搭乗記録はあるものの、入国記録に加えて右入国後の出国記録もあるというのであり、「C」又は「C"」名義の偽造旅券で入国したとする被告人の供述の信用性自体に疑問が生じているのである。さらに、同月二三日に、C名義の査証発給のない事実が判明し、翌二四日には、被告人が入国方法が船であったと供述を変えたため、不法入国事件による立件がほぼ絶望的となり、伊藤検事も、同月二三日には、不法入国事件で立件できない場合に備えて、偽造公文書行使事件で再逮捕する方針を指示せざるを得ない状況に追い込まれていたということができる。

(エ) そうすると、勾留延長期間の満了時まで、不法入国事件の裏付け捜査が未了であったことを理由として、勾留期間を延長すべきやむを得ない事由が一応存したこと自体は否定できないとしても、勾留期間延長の必要性は、延長当初から決して高いものではなく、その後の被告人の供述の変更に伴って著しく低下し希薄化していったものと認められる。

(二) 偽造公文書行使事件による逮捕勾留について

偽造公文書行使事件の逮捕勾留の基礎となった被疑事実は、被告人が六月三日に東京都豊島区内の質店において「A」名義の偽造された外国人登録証明書を提示して行使したというものであるが、右事実は、法定刑が一年以上一〇年以下の懲役刑に相当する重大事犯である上、関係各証拠によれば、右事実については、被告人が旅券不携帯事件による逮捕時に、「A」名義の外国人登録証明書及び同名義の質札を所持していたことを端緒とし、同事件の取調べ中に発覚したものであり、七月一六日には、質店店主からの事情聴取を終え、さらに、同月一九日には質店の遺留指紋の一つが被告人のものと一致することまで判明していたことが認められる。しかしながら、偽造公文書行使事件について被告人の起訴・不起訴の処分を決するには、犯行野動機、状況等について被告人から更に事情を聴取するなど捜査を尽くす必要があったことが認められるのであり、被告人について同事件による逮捕勾留の理由及び必要性があったことは明らかである。

(三) 以上のとおり、旅券不携帯事件及び偽造公文書行使事件による被告人の逮捕勾留にはそれぞれ理由及び必要性が認められ、また、旅券不携帯事件の勾留期間の延長についても延長すべきやむを得ない事由の存在を否定できないから、右の諸点に関する限り、旅券不携帯事件及び偽造公文書事件による逮捕勾留に違法はないということができる。

3  捜査のあり方等からの検討

(一) 旅券不携帯事件による逮捕(七月八日)から勾留期間延長(勾留満期は同月一九日)まで

(1) まず、旅券不携帯事件による逮捕から勾留期間延長までの捜査の進展状況についてみるに、旅券不携帯事件及び不法入国事件の関係では、前認定のとおり、各関係機関への捜査関係事項照会が行われたほか、被告人の自称住居地への捜索差押及び引当たり捜査、被告人の所持していた携帯電話のレンタルサービス申込書の入手及び同じく被告人の所持していた外国人登録証の真偽の確認、被告人の元雇用主の取調べ、被告人の戸口簿の取り寄せ等が行われ、被告人の供述調書としては、七月八日付けで弁解録取書(一丁)及び警察官調書一通(本文五丁)、同月九日付けで警察官調書二通(九丁及び本文六丁)、同月一〇日付けで検察官調書一通(一丁)、同月一五日付けで警察官調書一通(八丁)、同月一八日付けで警察官調書一通(四丁)がそれぞれ作成されている。

(2)ア これに対し、××事件の関係では、七月一三日に心理鑑定が実施されているが、被告人の供述調書等は作成されていない。

イ この点、被告人は、公判段階において、逮捕の翌日から、犯行現場に指紋が残っているとかGが逮捕されてすべて認めているなどと言われて、専ら××事件について取調べを受けた旨供述するけれども、右公判供述がそのまま信用することが困難なものであることは前にみたとおりである。

ウ 一方、田中警部補は、被告人の取調べを担当することになった際、上司から、旅券不携帯事件及び不法入国事件を立件できるようにするとともに、××事件についても並行して調べるように指示されたが、七月二〇日までは、専ら不法入国事件の立件を目的として取調べを行っており、××事件当日である六月二五日の行動については、被告人の日本での生活状況、稼働状況を明らかにする趣旨で聴いたにすぎない旨証言し、伊藤検事も、旅券不携帯事件の配点を受けた際、別件逮捕勾留であるとのそしりを受けないようにする必要があると考えたことから、××事件の捜査主任官を務めていた鈴木警部に電話して、まずは不法入国事件の捜査を最優先に進めるべきこと、××事件についての取調べは不法入国事件を立件するのに必要な生活痕跡を洗い出す限度にとどめ、専ら××事件について聴くような調べ方はしないことなどを指示し、鈴木警部も、当然そのつもりであると返事していた旨証言している。

エ もっとも、田中警部補も、心理鑑定が実施された七月一三日以降は、被告人の生活状況を明らかにする趣旨とはいえ、Gの顔写真のA四版コピーを取調室の机の上に置いて調べたことを認めている。また、同日から勾留満期である同月一九日までの被告人の取調べ時間は、前認定のとおり、検事調べのあった同月一六日を除き、連日六時間三〇分ないし九時間四四分と長時間に及んでいるが、この間に作成された被告人の供述調書が同月一五日付け(八丁)及び同月一八日付け(四丁)の二通にとどまっており、前記(1)でみたような他の捜査の進展状況とも対比すると、次第に取調べの力点が××事件に関する事情聴取に移行していったことがうかがわれるのである。

(3) しかしながら、同月一六日に、伊藤検事が旅券不携帯事件及び不法入国事件について被告人を取り調べているほか、同月一八日には、不法入国事件に関する被告人の供述調書が作成されるとともに、捜査本部がA'及びA名による退去強制歴並びに被告人自身の退去強制歴に関する各捜査関係事項照会回答書を入手していることも考慮すると、旅券不携帯事件による逮捕から勾留期間延長までの間は、被告人に対する××事件の取調べは、あくまで旅券不携帯事件及び不法入国事件の取調べに付随し、これと並行して行われている程度にとどまっていたものといえるから、その間の××事件の取調べに違法があるとはいえない。

(二) 旅券不携帯事件による勾留期間延長(七月二〇日)から偽造公文書行使事件による逮捕(同月二九日)まで

(1)ア 次に、旅券不携帯事件による勾留期間延長から偽造公文書行使事件による逮捕までの捜査の進展状況についてみるに、旅券不携帯事件及び不法入国事件の関係では、前認定のとおり、七月二三日に、外務省領事移住部から、C名義による査証発給がない旨の回答書(同月一二日照会)を得たにとどまり、関係各証拠を総合しても、積極的な捜査が行われた形跡はうかがわれない。

イ この点、伊藤検事は、七月二三日、鈴木警部に対し、C名義の旅券の発見に努めるよう指示した旨証言し、田中警部補は、勾留期間延長後も、被告人の友人の所在捜査等必要な裏付け捜査をしていた旨証言するが、旅券不携帯事件の一件記録(甲200)によっても、捜査本部において右旅券の発見のために積極的に捜査したり、被告人の友人の所在捜査等必要な裏付け捜査をしていたことをうかがわせる資料はほとんどなく、かえって、前認定のとおり、同月一四日に「C」名による出入国記録のないことが判明し、同月二四日には、被告人が「C」名義の偽造旅券で不法入国したとする前言を翻し、船で入国したと供述するに至っていて、C名義の旅券を発見する意味は失われ、不法入国による立件も絶望的となっていたのである。

(2)ア 右勾留期間の延長後も、前認定のとおり、被告人に対する取調べは続き、同月二〇日に六時間五〇分、二一日に九時間三五分、二二日に八時間三五分、二三日に七時間一五分、二四日に六時間一〇分、二六日に六時間二三分、二七日に六時間一五分と、日曜日であった同月二五日を除き、ほぼ連日、相当長時間に及ぶ取調べが続けられた(ただし、同月二八日は後期の引当たり捜査が行われたため、取調べは午後のみ二時間五二分にとどまっている。)。

イ この間、旅券不携帯事件及び不法入国事件の関係で作成された供述調書は、中国の母親から送られた戸口簿の写しが被告人に関するものであることを確認する内容の同月二四日付け警察官調書(本文三丁)一通のみであり、検察官による被告人の取調べは一度も行われていないのに対し、××事件の関係では、警察官調書二通(同月二四日付け・本文四丁、同月二七日付け・一二丁)及び上申書二通(同月二四日付け、同月二七日付け)が作成されているほか、同月二八日午前に実施された引当たり捜査について同月二九日付けの捜査報告書一通(甲50)が作成されている。

ウ そして、前記(1)認定のような当時の捜査の進展状況に右イ認定のような被告人による上申書作成や被告人の供述調書の作成状況、引き当たり捜査実施の事実、前認定のとおり、七月一三日、心理鑑定により被告人が××事件について認識している可能性のあることが判明し、同月二二日には、被告人が同房者である中国人に強盗をやったと打ち明けていたことが明らかになっており、更には、前記二で検討したことからも明らかなとおり、被告人は、自ら積極的に××事件について自供したものではなく、頑強に否認を続け、自白を開始した後も、警察官が怒りや苛立ちから戸口簿の写しの入った封筒に火を着けるほどまでに、取調べに抵抗を続けていたことも考慮すると、前記ア認定の取調べ時間中に、被告人の不法入国事件に関する取調べも入国方法も確認する程度に若干行われたことがうかがわれるものの、その大半は、××事件の取調べに費やされたものであることが容易に推認できるのである。

エ この点、田中警部補は、被告人が××事件を自供する三日くらい前からは、同事件について「大分」聴いた旨認める一方、勾留期間延長後も不法入国立件に向けて、被告人が逮捕後に所持していた携帯電話の契約関係や偽造外国人登録証の入手経路等について被告人の取調べを行った旨証言するが、これらの点に関する被告人の供述調書は作成されておらず、戸口簿については、七月一七日に既に到着していたのに、同月二四日に至るまでその内容を確認する調書すら作成されていない状況に照らすと、被告人を不法入国事件立件に向けて取り調べていた旨の右田中証言をそのまま信用することは困難である。

オ また、伊藤検事は、七月二六日、鈴木警部から、被告人が××事件を自供した旨の報告を受けて、再度被告人を不法入国事件で取り調べるよう指示した旨証言している。ところが、田中警部補は、被告人が、同月二四日ころの取調べで、船で入国したようなことを述べるに至ったが、その関係の供述調書を全く作成していないし、××事件関係の調書や上申書を作成中であったので、船で入国したと述べている点について、詳しくは聞いていないとまで証言している。しかも、伊藤検事自身、捜査本部から、被告人が実は船で入国した旨述べるに至り、その後もその供述を変えず、その内容もあいまいなものであるとの報告を受けて、自ら被告人を取り調べることもなく、不法入国事件による起訴を断念したことは、前認定のとおりである。

(3)ア  以上のとおり、旅券不携帯事件による勾留期間の延長後は、被告人に対して前記(2)ア認定のように、ほぼ連日、相当長時間に及ぶ取調べが続けられており、しかも、その大半が××事件の取調べに費やされていたのに対し、不法入国事件に関しては、被告人を若干取り調べた点を除けば、捜査本部が積極的に捜査を行った形跡がなく、同月二四日までに、不法入国による立件が絶望的となるような状況に陥っていたこと、さらに、被告人は、××事件について、頑強に否認を続けて、自白した後も、取調べに抵抗を続けていたことがうかがわれるのである。

イ  そして、旅券不携帯事件による勾留期間延長から偽造公文書行使事件による逮捕までの間の右のような捜査のあり方からすると、右期間中における××事件の取調べは、旅券不携帯事件による逮捕勾留期間中に許された限度を大きく超えているのに対し、本来主眼となるべき旅券不携帯事件ないし不法入国事件の捜査は、ほとんど行われない状況にあったというべきであるから、右勾留期間延長後は、旅券不携帯事件による勾留としての実体を失い、実質上、××事件を取り調べるための身柄拘束となったとみるほかはない。したがって、その間の身柄拘束は、令状によらない違法な身柄拘束となったものであり、その間の被告人に対する取調べも、違法な身柄拘束状態を利用して行われたものとして違法というべきである。

ウ  この点、検察官は××事件について、被告人の日本における生活痕跡等を示すという意味で旅券不携帯事件と密接に関連する事実であり、同事件の逮捕勾留期間中にも広く取り調べることができる旨主張するが、同事件は、旅券不携帯事件との関連性があるとはいえず、不法入国事件とも、不法入国後の生活状況として関係するにすぎないものであって、関連性は希薄というほかないから、検察官の右主張はその前提を欠くものである。

エ  そして、前記イで指摘した旅券不携帯事件による勾留期間延長から偽造公文書行使事件による逮捕までの間の被告人取調べの違法は、憲法及び刑訴法の所期する令状主義の精神を没却するような重大なものであり、かつ、右取調べの結果得られた供述調書を証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からも相当でないと認められる以上、右期間中に得られた被告人の供述調書、すなわち、七月二四日付け(乙7)及び同月二七日付け(乙8)各警察官調書並びにその間に被告人を同事件に関し現場に引き当たりをして得られた同月二九日付け捜査報告書(甲50)の証拠能力はすべて否定されるべきものと解するのが相当である。

(三)  偽造公文書行使事件による逮捕(七月二九日)から同事件による起訴(八月九日)まで

(1)  前認定のとおり、伊藤検事は、七月二七日ころ、鈴木警部に対して、偽造公文書行使事件による勾留期間中は、同事件に関する一通りの捜査が終わるまで××事件については積極的に触らないように指示し、現に、偽造公文書行使事件による逮捕後、八月五日までは、専ら同事件についての取調べが行われて、××事件に関する取調べは控えられており、偽造公文書行使事件に関する検事調べが終わった後の同月六日に、××事件について一時間四五分取調べが行われ、本文四丁の警察官調書(乙9)が作成されている。したがって、右期間中の××事件についての取調べは、偽造公文書行使事件の取調べに付随し、これと並行して行われている程度にとどまるといえるから、その間の××事件の取調べ自体に違法があるとはいえない。

(2)  しかしながら、右警察官調書が得られた八月六日の取調べは、前判示のように違法と解される身柄拘束(以下「本件違法勾留」という。)が終了してから八日間を経た後のものとはいえ、前認定のとおり、本件違法勾留期間中と同じ田中警部補が行ったものであり、その内容も、被告人が右期間中から××事件の共犯者として供述していたF"の人定に関するものであるから、右警察官調書における被告人の供述は、本件違法勾留期間中における違法な取調べの影響下にあり、それまでに得られた被告人の同事件に関する自白と一体をなすものとして、その違法を承継するものと解するほかはない。したがって、右警察官調書(乙9)も、本件違法勾留期間中に得られた二通の各警察官調書(乙7、8)と同様の趣旨において、その証拠能力を欠くものと解するのが相当である。

(四)  偽造公文書行使事件による起訴(八月九日)から××事件による逮捕(八月三〇日)まで

(1)ア  前認定のとおり、被告人に対する××事件の取調べは、偽造公文書行使事件による起訴後も断続的に続けられ、八月一二日には、本文五丁の警察官調書(乙10)が作成されたほか、同月一九日、二〇日、二三日、二四日及び二六日にも取調べが行われている。そして、××事件の共犯者とされるF"に対する前認定のような捜査の進捗状況と対比すると、F"に対する捜査の進展に応じて、被告人に対する取調べも随時行われていたことがうかがわれる。

イ  とはいえ、右一連の取調べは、前認定のとおり、二一日間に七日と断続的で、取調べ時間も一日当たり最大で四時間三〇分、平均すると約三時間一〇分と比較的短時間である。しかも、田中警部補の証言によると、そのころの取調べにおいて、被告人が供述を渋ったり、取調べに抵抗を示すことのなかったことが認められる。したがって、右取調べは、被告人が任意に応じていたものということができ、しかも、偽造公文書行使事件の審理を何ら阻害するようなものではなかったから、それ自体に違法のないことは明らかである。

(2)ア  しかしながら、前記警察官調書(乙10)が作成されたのは、本件違法勾留が終了してから一四日間を経た八月一二日であり、しかも、前認定のとおり、同月一〇日には、××事件の共犯者とされるF"が逮捕されたとはいえ、右警察官調書が得られた取調べは、本件違法勾留期間中と同じ田中警部補が行ったものであり、その内容も、事件当日に同事件の現場に最寄りの千駄木駅の改札口でビデオテープに録画された人物から被告人並びに同事件の共犯者とされるF"及びGを特定するなどしたものであるから、右警察官調書における被告人の供述もまた、本件違法勾留期間中における違法な取調べの影響下にあり、それまでに得られた被告人の同事件に関する自白と一体をなすものとして、その違法を承継するものと解されるのである。したがって、右警察官調書(乙10)も、本件違法勾留期間中に得られた二通の各警察官調書(乙7、8)と同様の趣旨において、その証拠能力を欠くものと解するのが相当である。

イ  もっとも、前認定のとおり、八月一二日に、××事件の犯行現場に残されていた指紋の一つがF"の指紋と一致することが確認され(甲46)、さらに、同月一九日には、甲野から、F"が犯人の一人であることは間違いないと思う旨(甲27)の、関口からも、F"は犯人の一人に似ている旨(甲34)の各供述が得られ、F"自身も、同月二五日には、被告人及びGと共に××事件を敢行した旨自供するに至り、同日付けで警察官調書二通(甲53、54)が作成されるなど、被告人の同事件への関与については、被告人の自白から独立した客観証拠が順次収集され、固められていっており、同月一九日以降の取調べは、このような客観証拠を参照し援用しながら行われたことがうかがわれるのであって、右取調べについては本件違法勾留期間中の違法な取調べの影響が次第に薄らぎ希薄化していったものとみられるのである。

(五)  ××事件による逮捕(八月三〇日)から起訴(九月二〇日)まで

(1)  ××事件の逮捕状請求及び勾留請求の際には、被告人の同事件への関与を裏付けるべき疎明資料として、被告人の前掲警察官調書四通(乙7ないし10)に加え、前記(四)の(2)イ掲記の各客観証拠が提出されたことがうかがわれるところ、このうち被告人の警察官調書四通はいずれも、前記(二)ないし(四)で判示したとおり、証拠能力を欠くものではあるが、これらから独立した右各客観証拠によっても、被告人の同事件への関与を十分裏付けることができる上、同事件の事案の重大性、証拠の収集状況、被告人の供述状況等に照らすと、逮捕勾留の理由及び必要性も十分認められる以上、同事件による逮捕勾留は、本件違法勾留の影響の点を除けば、何ら違法はないというべきである。

(2)  そこで、本件違法勾留の違法ないしその期間中の取調べの違法が××事件による逮捕勾留ないしその間の取調べの適否に及ぼす影響について検討することとする。

ア  まず、××事件による逮捕勾留期間中の取調べに対する本件違法勾留期間中の取調べの影響についてみるに、前記(四)の(2)で判示したとおり、被告人と同事件との結び付きを裏付ける客観証拠が順次収集され固められていったことに伴い、その影響が次第に薄らぎ希薄化していったものと認められる。したがって、同事件による逮捕勾留期間中に得られた被告人の供述は、前掲各警察官調書(乙7ないし10)と一体をなすものとまでは認められず、その違法を承継するとしても、その程度は証拠能力を否定すべきほどの重大なものとはいえないのである。

イ  次に、本件違法勾留により、実質上は、既に被告人が××事件について相当期間勾留されていることの影響についてみるに、本件全証拠を子細に検討しても、旅券不携帯事件による逮捕勾留が、専ら××事件を取り調べる目的で、旅券不携帯事件の勾留に名を借りその身柄拘束を利用して、××事件につき勾留して取り調べるのと同様の効果を狙ったもの、すなわち、積極的に令状主義を潜脱しようとしたものとまでは認められない。しかも、伊藤検事は、旅券不携帯事件の勾留期間中、被告人の自白が概括的なものにとどまり、共犯者の身柄が確保されていないことなどから、直ちに××事件で逮捕しない方針を固めていた旨証言している上、前記(四)の(2)イでみたような捜査の進展状況をも合わせ考慮すると、同事件による逮捕は、前掲客観証拠が順次収集され固められていったことが決め手となったとうかがわれるのである。さらに、本件違法勾留終了から同事件による逮捕までに一か月余りの期間が経過していること、右アでもみたとおり、本件違法勾留期間中の取調べの影響は、偽造公文書行使事件の起訴後に次第に薄らぎ希薄化していったものと認められることも考慮すると、××事件による逮捕勾留については、逮捕勾留の蒸し返しに当たるとまではいえないということができる。

(3)  したがって、××事件による逮捕勾留及びその期間中の取調べに違法があるとはいえないほか、他にその間の取調べに違法があることをうかがわせる状況も存在しない以上、その間に得られた被告人の供述調書はすべて証拠能力を有するものと解するのが相当である。

四  結論

以上の次第で、検察官から証拠調べ請求のあった被告人の検察官調書(乙53)及び警察官調書(四通、乙50ないし52)はいずれも、任意性が認められるから、採用して取り調べることとし、弁護人からの証拠調べに関する異議申立てのうち、取調済みの被告人の警察官調書四通(乙7ないし10)に関する部分は理由があるから、刑訴規則二〇五条の六第二項により右各証拠をいずれも本件証拠から排除し、その余の部分は理由がないから、同規則二〇五条の五によりいずれも棄却し、取調済みの引当たり捜査報告書(甲50)は、証拠とすることができないものであるから、同規則二〇七条により職権で本件証拠から排除することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官・中谷雄二郎、裁判官・伊藤雅人、裁判官・福家康史)

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